words on the table

Your awesome Tagline

  • 17th December
    2010
  • 17
  • 3rd August
    2010
  • 03

うつくしいものの話をしよう。

本がでるのをわたしが本当に楽しみにしていて、必ず買っている
その詩人は、著書の中で、うつくしいものの詩を唄っている。

—-


うつくしいものの話をしよう
いつからだろう。ふと気がつくと、
うつくしいということばを、ためらわず
口にすることを、誰もしなくなった。
そうしてわたしたちの会話は貧しくなった。
うつくしいものをうつくしいと言おう。
風の匂いはうつくしいと。渓谷の
石を伝わってゆく流れはうつくしいと
午後の草に落ちている雲の影はうつくしいと。
遠くの低い山並みの静けさはうつくしいと。
きらめく川辺の光りはうつくしいと。
おおきな樹のある街の通りはうつくしいと。
行き交いの、なにげない挨拶はうつくしいと。
花々があって、奥行きのある路地はうつくしいと。
雨の日の、家々の屋根の色はうつくしいと。

太い枝を空いっぱいにひろげる
晩秋の古寺の、大銀杏はうつくしいと。
冬がくるまえの、曇り日の、
南天の、小さな朱い実はうつくしいと。
コムラサキの、実のむらさきはうつくしいと。
過ぎてゆく季節はうつくしいと。
きれいに老いてゆく人の姿はうつくしいと。
一体、ニュースとよばれる日々の破片が、
わたしたちの歴史と言うようなものだろうか。
あざやかな毎日こそ、わたしたちの価値だ。
うつくしいものをうつくしいと言おう
幼い猫とあそぶ一刻はうつくしいと。
シュロの枝を燃やして、灰にして、撒く。
何ひとつ永遠なんてなく、いつか
すべて塵にかえるのだから、世界はうつくしいと。
—-


もっと、うつくしいものの話をしよう。
その言葉の、あまりの静けさ、おだやかさ、透明さ、強さに
動揺せず、まっすぐに受け止めてくれる友達や恋人に恵ま
れたなら、もっと、うつくしいものの話をしよう。

  • 12th July
    2010
  • 12
体まるごと遊んでくれてるみたいに大きくて楽しいいのくまさんの展覧会の傍ら、
細く長い廊下に喜多順子の絵が並ぶ。
西麻布の猫の坂道をのぼった先のギャラリーでも展示されていた、
「帰り道の途中」の作品もちらほらある。
からだ中にたまった汗がス、とひいていく。
喜多順子の絵は水のにおいがする。
山の絵が一番好きだ。喜多さんもきっと楽しんで描いたように思う。
一見ふつうの写生のように見える風景画をじっと見る。
浮かび上がってくる。
ヨーロッパの最高峰、モンブランと、日本の北アルプス山麓、栂池、燕、白馬。
白鳥が飛来する新潟の湖、チョモランマ、パリの街並みとセントラルパークの
高い木々、京都の鴨川が合成されていることがわかる。
「わたしたちは出かけていって、どんな風景も見ることができるけど、風景と
風景は顔を会わせることができないでしょ。だから、会わせてあげたかったの」
と、この絵を描いたとき、喜多さんは言ったそうだ。
わたしはその話を聞いて、これ以上ないほどの優しさに包まれたように思った。
よく澄んだ湖の水に体ごとすっぽりと包まれて、目を覚ましてもらったみたいに。
もっとずっと大人になったら、喜多さんの絵を買って寝室に飾ってみたいけれど、
そうしたら毎朝の起き抜けで泣いてしまうから、どこにもでかけられなくなっちゃう、
と思った。

体まるごと遊んでくれてるみたいに大きくて楽しいいのくまさんの展覧会の傍ら、

細く長い廊下に喜多順子の絵が並ぶ。

西麻布の猫の坂道をのぼった先のギャラリーでも展示されていた、

「帰り道の途中」の作品もちらほらある。

からだ中にたまった汗がス、とひいていく。

喜多順子の絵は水のにおいがする。

山の絵が一番好きだ。喜多さんもきっと楽しんで描いたように思う。

一見ふつうの写生のように見える風景画をじっと見る。

浮かび上がってくる。

ヨーロッパの最高峰、モンブランと、日本の北アルプス山麓、栂池、燕、白馬。

白鳥が飛来する新潟の湖、チョモランマ、パリの街並みとセントラルパークの

高い木々、京都の鴨川が合成されていることがわかる。

「わたしたちは出かけていって、どんな風景も見ることができるけど、風景と

風景は顔を会わせることができないでしょ。だから、会わせてあげたかったの」

と、この絵を描いたとき、喜多さんは言ったそうだ。

わたしはその話を聞いて、これ以上ないほどの優しさに包まれたように思った。

よく澄んだ湖の水に体ごとすっぽりと包まれて、目を覚ましてもらったみたいに。

もっとずっと大人になったら、喜多さんの絵を買って寝室に飾ってみたいけれど、

そうしたら毎朝の起き抜けで泣いてしまうから、どこにもでかけられなくなっちゃう、

と思った。

  • 29th June
    2010
  • 29
梅酒を漬けようと勢い込んで注文したら、届いたのは梅干用でした。
マンゴー梅という名前の、甘いかおりの梅。
寝ぼけていると、枇杷だと間違って食べてしまいそうです。
それで、はじめて梅干を漬けてみました。
土用の丑のころが食べごろだそうです。

梅酒を漬けようと勢い込んで注文したら、届いたのは梅干用でした。

マンゴー梅という名前の、甘いかおりの梅。

寝ぼけていると、枇杷だと間違って食べてしまいそうです。

それで、はじめて梅干を漬けてみました。

土用の丑のころが食べごろだそうです。

  • 29th June
    2010
  • 29
  • 28th June
    2010
  • 28

長新太さんのトランク

親愛なる小説家から、こんな話を聞いたことがある。

絵描きの長新太さんは、あのような絵とお話を描くくらいだから、キッズの心を満杯にもって大人になったので、とても自由なひとだった。ぷらっと出ていったきり、何日も、何ヵ月も、長いときだと半年も家に帰ってこない。

奥さんは、長さんの好きなようにさせてあげたかったけれど、やっぱりちょっと、心配だった。猫じゃあるまいし、死に目を見せないように旅に出られたらさすがに困る。そこで奥さんは考えた。

ある日、長さんが、ぷらっとおでかけにいこうとすると、玄関にみっつのトランクが並んでいた。大、中、小。大には半年分の荷物、中には3ヶ月分、小は1週間。タオルとか、歯ブラシとか、鉛筆や紙。

以来、奥さんはなくなったトランクの大きさを見て、あああのひと今度は半年したら帰ってくるわ、なんて言って、待ち、長さんが帰ってくると、何も言わずに、使ったトランクの荷物を新しいものにした。

わたしはその話をきいて、長さんも、長さんの奥さんも、なんだかとてもいいなあ、と思った。長さんみたいな旦那さまがほしいし、でも、一方で、わたしも長さんみたいに生きていたい、と思った。

無邪気にそう言うと、小説家はふと真顔になって、静ちゃんけどな、長さんは長さんのことは好きにはならへんで、と言った。 今ならその意味がわかるような気がする。世の中の対って、そういうふうに組み合わさるようにできているのだ。

  • 22nd June
    2010
  • 22
パーソナル・ライブラリー、始めました。
友達からパーソナル・ライブラリーセットをいただいたので、
貸し出しても大丈夫、というか、
借りていってほしい本にはライブラリーカードを貼ってあります。
晴れた昼下がり、世田谷公園で本を読みたい気分だったら、
雨の日曜日、珈琲と煙草に合う一冊の本がほしくなったら、
旅に向かう道の途中で、お供してくれる本を探しているのなら、
わたしのライブラリーにお立ち寄りください。

パーソナル・ライブラリー、始めました。

友達からパーソナル・ライブラリーセットをいただいたので、

貸し出しても大丈夫、というか、

借りていってほしい本にはライブラリーカードを貼ってあります。

晴れた昼下がり、世田谷公園で本を読みたい気分だったら、

雨の日曜日、珈琲と煙草に合う一冊の本がほしくなったら、

旅に向かう道の途中で、お供してくれる本を探しているのなら、

わたしのライブラリーにお立ち寄りください。

  • 21st June
    2010
  • 21
生まれてはじめて、絵を買った。2枚買った。
その1枚が手元に届いた。
 いしいしんじが、雑誌「クロワッサン」で2年ちょっと連載していた
「ああ驚いた」というエッセイの、池田進吾による挿絵の原画だ。
雨曇りの春の終わりに原画展を見に行った。
池田進吾の100枚の絵に包まれてわたしは、
雲のうえのそのまた向こうの、
涼しくて心地のいいどこかへと連れて行かれたような気がした。
そこは無音だった。
アルプスに抱かれる街、松本の冬のど真ん中の朝について書いた
いしいさんのエッセイの挿絵を一枚、買った。
毎月10日と25日の掲載日になると、いつもより少しだけ早起きをして、
渋谷駅構内の本屋さんに走って、繰り返し、繰り返し、
このエッセイを読んだことを思い出した。
起き抜けの一杯の水のように、
当たり前で大切だった時間がたしかにあったことを、
なんだか懐かしく思った。

生まれてはじめて、絵を買った。2枚買った。

その1枚が手元に届いた。

 いしいしんじが、雑誌「クロワッサン」で2年ちょっと連載していた

「ああ驚いた」というエッセイの、池田進吾による挿絵の原画だ。

雨曇りの春の終わりに原画展を見に行った。

池田進吾の100枚の絵に包まれてわたしは、

雲のうえのそのまた向こうの、

涼しくて心地のいいどこかへと連れて行かれたような気がした。

そこは無音だった。

アルプスに抱かれる街、松本の冬のど真ん中の朝について書いた

いしいさんのエッセイの挿絵を一枚、買った。

毎月10日と25日の掲載日になると、いつもより少しだけ早起きをして、

渋谷駅構内の本屋さんに走って、繰り返し、繰り返し、

このエッセイを読んだことを思い出した。

起き抜けの一杯の水のように、

当たり前で大切だった時間がたしかにあったことを、

なんだか懐かしく思った。

  • 21st June
    2010
  • 21
 ”White glazed vase” とcaptionのついた88番目の花器の前でわたしは、
大げさでなく本当に、涙を流してしまった。
重厚なガラスケースの向こう側に置かれた器たちはどれも、
あまりに薄く、触れたらすぐに壊れてしまいそうなほど繊細で可憐でありながら一方で、
どんな料理も美味しく楽しげに見せてくれそうな懐の深さもただよわせているのだった。
しかしどの器よりも美しく、繊細で可憐でありながら懐が深く温かかったのは、
スクリーンに映し出されたルーシー・リーの、小さくてしわしわで薄いその手のひらだった。

 ”White glazed vase” とcaptionのついた88番目の花器の前でわたしは、

大げさでなく本当に、涙を流してしまった。

重厚なガラスケースの向こう側に置かれた器たちはどれも、

あまりに薄く、触れたらすぐに壊れてしまいそうなほど繊細で可憐でありながら一方で、

どんな料理も美味しく楽しげに見せてくれそうな懐の深さもただよわせているのだった。

しかしどの器よりも美しく、繊細で可憐でありながら懐が深く温かかったのは、

スクリーンに映し出されたルーシー・リーの、小さくてしわしわで薄いその手のひらだった。

  • 19th June
    2010
  • 19

パーフェクトマンションにさようならを言うまで、あとすこし。